―呼吸と動作ー
呼吸こそ生活のそのものである運動、動作の基本であり、文字道理にいきること。
体操の極意は理想の呼吸の実現であり、それは全身にわたる空気の循環のことでもあり、生体電気(神経)と水(血液)等の体内自然の循環を健康に保ち育てることにその目的もあるだろう。
出ずる息と入る息の消息の中に生存がある。
息を吸い、息を吐く、呼吸の深さ強さ柔らかさの力こそ、その人の健康力であろう。
息を吸う、肺を広げる、血液に酸素を取り入れる。息を吐く、肺を縮める、血液から二酸化炭酸を取り出す。
そして呼吸は肺で終わることなく血管を通して細胞の呼吸ともつながっている。
肺の呼吸は肺の筋肉の拡張と収縮だけでなく胸と上半身と全身の運動に助けられ互いに共同して行われている。
息を吸い肺を広げる時は腕を上げ伸ばし、息を吐き肺を縮める時は腕を曲げ屈するのが自然で楽だ。
肺の筋肉の収縮と共に、人間は全身の筋肉でも呼吸している。空気は血液によって運ばれ、だから肺は心臓と兄弟のように働き、筋肉とはその内部に張り巡らされてある血管と神経とリンパとの総称であるから、全ての臓器の運動は筋肉の運動と対をなしている。
だから、呼吸の深さ強さ柔らかさは全身の筋肉のそれでもあり、その時のその人の健康の有様でもある。
この人間の臓器や筋肉や全ての体内のネットワークを経絡といい、その虚実(ヨワリとコリ)の状態を漢方では証と言った。
コリによって腕を伸ばす筋肉が固まってしまい十分に伸ばすことが出来ない時、ヨワリによって腕を曲げる筋肉が萎えてしまい十分に曲げることが出来ない時、肺も困ってしまいコリ、ヨワリが伝染してゆく。
だからこそ,弱ったり凝ったりしてしまっている肺を丈夫に回復させるには、肺の呼吸運動と共に上体や腕の運動(経絡の発揮)が有効になるのだ。
一動作三呼吸とは、たとえば腕を伸縮する運動の時、息を吸いながら腕を上げ上がる限界まで上げきったら(この時内側の筋肉、陰径の経絡の存在するところ)がコッテいるか外側の筋肉(陽径の経絡)がヨワッテいたら、腕は十分には上がらない。
逆に胸を縮め息を吐き腕を曲げた時、内がヨワリ外がコッテいれば、十分に胸を縮め息を吐ききることが出来ない。
こんな時、この体操を行いながら、腕を上げて息を吸いながら動作の限界まで息を吸い、腕を上げ力を入れたそのままのポーズで息だけを吐き筋肉をリラックスさせ限界まで腕を曲げ息を吐ききる、これを三度続けながら息と動作の限界をホンの少しずつでよいから超えてあげる。
また腕を下げて息を吐いたと時も、腕を下げ呼吸を吐ききった後に、そのまま腕を下げたポーズで息を吸い筋肉を緊張しヨワリを補う力を回復させてあげる、続いて息を吐き力を抜いてリラックスしコリをときほぐしてあげる、これを呼吸の三度以上の繰り返しの中で、コリとヨワリによって萎縮している運動力の限界を超えることが出来るようになることがこの体操の目的だ。
これを書きながら、やはり思ってしまう、とにかく一緒にやってみましょう、と言いたくなってしまう誘惑にかられてしまうのだ。
身体を動かし、やってみればとても簡単なことなのだから。
しかし、身体が思うように動くかどうかは、また別ものだ。
この体を動かす有様の内に、私たちの健康の状態も存在するのだから。
だから、この運動、呼吸と動作のただ中で受け止める身体感覚(体の動きとともに感じるもの、快感や不快、痛みや苦しさや喜びや楽しさ)によって、私たちは私たち自身を知る、その健康も病も知ることができる。
心身の不快を快感に、痛みをやわらげ苦しみをほぐしてゆくことで、また病を健康にすることも出来る。
一動作三回、そして裏と表
私たちは体操を行う中で、自分の体の状態や、健康や異変を知ることが出来、またこれを改善してゆく中で病を治してゆくことが出来る。
前章で一動作=一ポーズの体操と共に、その一ポーズの中で呼吸を三度繰り返すことで、緊張と緩和、吸と呼の息継ぎと運動によって、コリをほぐしヨワリを養う呼吸法について書いた。
これと共に一つの動作=ポーズを三回繰り返すことを薦めたい。
そして、それと共に動作の裏表、反対の動作(体を前に倒すことと後ろに反らす運動のような対になる動作)を繰り返す体操をお薦めする。
たとえば前後の運動を三回づつ、計九回の運動を繰り返すことで、これを繰り返す中で可動域の限界を少しづつ超えることが出来るようになる)、この少しづつ一回ごとに困難な動作=ポーズを発見し克服してゆく、前に倒した時に体が緩み切らず倒しきれなかったら、次に反対に後ろに倒し呼吸とともに伸ばし縮め、これを繰り返すのが良いと思う。
これを繰り返す中で筋肉などの経絡と呼吸の可動域の限界を超える体の動かし方と、息の仕方を体の感覚が教えてくれるだろう。
全身の体操をするということは、身体のどの部位でも、前後、左右、それとひねりねじる動作をすれば、ほぼ全体にくまなく運動させることが出来る、そして裏と表も含めてほぼ全ての経絡を動かすことになる。
頭、首、上体、腕、背中、お腹、腰、足、そして全身を前後、左右に曲げ伸ばしひねる、これらの運動を持続して洗練させてゆけば、きっと私たちは健康を自給できる人になれるだろう。
なによりも続けること、このやれば誰でもできることを続けることが、なかなか出来ない。
生活習慣病の蔓延は、健康法の習慣によって誰でも克服できると思う。
わたしは、この持続を生活の中に習慣づけるために、朝は起きてすぐ、夕方は夕食の前に体操の時間として15分程を設けて、必ずこれをやるようにしている。忘れたら次の日には必ずやるようにしている。
朝は寝起きの固まってしまった筋や骨を伸ばす、しっかりとした立ちポーズの体操を行い。
夕には一日の疲れをとるように、ゆったり畳の上で座したポーズで行っている。
朝夕の体操は、その一日のはじめおわりのこと、実はその中にある一日の仕事の中にこそ、本当の体操も運動も存在する。
この仕事の中味のなかで呼吸と動作を整え、調和したしぐさ、美しい労働をこころがけ実現出来てはじめて、自給自足の生活、医の自立も完成するだろう。
体操の極意は理想の呼吸の実現であり、それは全身にわたる空気の循環のことでもあり、生体電気(神経)と水(血液)等の体内自然の循環を健康に保ち育てることにその目的もあるだろう。
出ずる息と入る息の消息の中に生存がある。
息を吸い、息を吐く、呼吸の深さ強さ柔らかさの力こそ、その人の健康力であろう。
息を吸う、肺を広げる、血液に酸素を取り入れる。息を吐く、肺を縮める、血液から二酸化炭酸を取り出す。
そして呼吸は肺で終わることなく血管を通して細胞の呼吸ともつながっている。
肺の呼吸は肺の筋肉の拡張と収縮だけでなく胸と上半身と全身の運動に助けられ互いに共同して行われている。
息を吸い肺を広げる時は腕を上げ伸ばし、息を吐き肺を縮める時は腕を曲げ屈するのが自然で楽だ。
肺の筋肉の収縮と共に、人間は全身の筋肉でも呼吸している。空気は血液によって運ばれ、だから肺は心臓と兄弟のように働き、筋肉とはその内部に張り巡らされてある血管と神経とリンパとの総称であるから、全ての臓器の運動は筋肉の運動と対をなしている。
だから、呼吸の深さ強さ柔らかさは全身の筋肉のそれでもあり、その時のその人の健康の有様でもある。
この人間の臓器や筋肉や全ての体内のネットワークを経絡といい、その虚実(ヨワリとコリ)の状態を漢方では証と言った。
コリによって腕を伸ばす筋肉が固まってしまい十分に伸ばすことが出来ない時、ヨワリによって腕を曲げる筋肉が萎えてしまい十分に曲げることが出来ない時、肺も困ってしまいコリ、ヨワリが伝染してゆく。
だからこそ,弱ったり凝ったりしてしまっている肺を丈夫に回復させるには、肺の呼吸運動と共に上体や腕の運動(経絡の発揮)が有効になるのだ。
一動作三呼吸とは、たとえば腕を伸縮する運動の時、息を吸いながら腕を上げ上がる限界まで上げきったら(この時内側の筋肉、陰径の経絡の存在するところ)がコッテいるか外側の筋肉(陽径の経絡)がヨワッテいたら、腕は十分には上がらない。
逆に胸を縮め息を吐き腕を曲げた時、内がヨワリ外がコッテいれば、十分に胸を縮め息を吐ききることが出来ない。
こんな時、この体操を行いながら、腕を上げて息を吸いながら動作の限界まで息を吸い、腕を上げ力を入れたそのままのポーズで息だけを吐き筋肉をリラックスさせ限界まで腕を曲げ息を吐ききる、これを三度続けながら息と動作の限界をホンの少しずつでよいから超えてあげる。
また腕を下げて息を吐いたと時も、腕を下げ呼吸を吐ききった後に、そのまま腕を下げたポーズで息を吸い筋肉を緊張しヨワリを補う力を回復させてあげる、続いて息を吐き力を抜いてリラックスしコリをときほぐしてあげる、これを呼吸の三度以上の繰り返しの中で、コリとヨワリによって萎縮している運動力の限界を超えることが出来るようになることがこの体操の目的だ。
これを書きながら、やはり思ってしまう、とにかく一緒にやってみましょう、と言いたくなってしまう誘惑にかられてしまうのだ。
身体を動かし、やってみればとても簡単なことなのだから。
しかし、身体が思うように動くかどうかは、また別ものだ。
この体を動かす有様の内に、私たちの健康の状態も存在するのだから。
だから、この運動、呼吸と動作のただ中で受け止める身体感覚(体の動きとともに感じるもの、快感や不快、痛みや苦しさや喜びや楽しさ)によって、私たちは私たち自身を知る、その健康も病も知ることができる。
心身の不快を快感に、痛みをやわらげ苦しみをほぐしてゆくことで、また病を健康にすることも出来る。
一動作三回、そして裏と表
私たちは体操を行う中で、自分の体の状態や、健康や異変を知ることが出来、またこれを改善してゆく中で病を治してゆくことが出来る。
前章で一動作=一ポーズの体操と共に、その一ポーズの中で呼吸を三度繰り返すことで、緊張と緩和、吸と呼の息継ぎと運動によって、コリをほぐしヨワリを養う呼吸法について書いた。
これと共に一つの動作=ポーズを三回繰り返すことを薦めたい。
そして、それと共に動作の裏表、反対の動作(体を前に倒すことと後ろに反らす運動のような対になる動作)を繰り返す体操をお薦めする。
たとえば前後の運動を三回づつ、計九回の運動を繰り返すことで、これを繰り返す中で可動域の限界を少しづつ超えることが出来るようになる)、この少しづつ一回ごとに困難な動作=ポーズを発見し克服してゆく、前に倒した時に体が緩み切らず倒しきれなかったら、次に反対に後ろに倒し呼吸とともに伸ばし縮め、これを繰り返すのが良いと思う。
これを繰り返す中で筋肉などの経絡と呼吸の可動域の限界を超える体の動かし方と、息の仕方を体の感覚が教えてくれるだろう。
全身の体操をするということは、身体のどの部位でも、前後、左右、それとひねりねじる動作をすれば、ほぼ全体にくまなく運動させることが出来る、そして裏と表も含めてほぼ全ての経絡を動かすことになる。
頭、首、上体、腕、背中、お腹、腰、足、そして全身を前後、左右に曲げ伸ばしひねる、これらの運動を持続して洗練させてゆけば、きっと私たちは健康を自給できる人になれるだろう。
なによりも続けること、このやれば誰でもできることを続けることが、なかなか出来ない。
生活習慣病の蔓延は、健康法の習慣によって誰でも克服できると思う。
わたしは、この持続を生活の中に習慣づけるために、朝は起きてすぐ、夕方は夕食の前に体操の時間として15分程を設けて、必ずこれをやるようにしている。忘れたら次の日には必ずやるようにしている。
朝は寝起きの固まってしまった筋や骨を伸ばす、しっかりとした立ちポーズの体操を行い。
夕には一日の疲れをとるように、ゆったり畳の上で座したポーズで行っている。
朝夕の体操は、その一日のはじめおわりのこと、実はその中にある一日の仕事の中にこそ、本当の体操も運動も存在する。
この仕事の中味のなかで呼吸と動作を整え、調和したしぐさ、美しい労働をこころがけ実現出来てはじめて、自給自足の生活、医の自立も完成するだろう。